2017年7月25日火曜日 未明にエアコンの運転音が高くなってきたなと目が覚めると雨音だった
『ユリシーズ』ほどではないにしても『失われた時を求めて』も訳注が多い 薬中ではない
ユリシーズの場合訳注(薬中ではない)は巻末にまとめてあるのでいちいち頁をダイナミックにめくらないといけなかった上に訳注(薬中ではない)が本編の2/3ほどもあるもんだから精神的な苦痛は大抵ではなかった
本本では訳注(薬中ではない)は各見開きの左端に寄せてあるのでなかなか都合がよい とはいうものの何れの小説でも訳注(薬中ではない)を参照してもその恩恵に与るなどということはほとんどないし訳注(薬中ではない)自体に注釈がないと理解できないものが大半だ ほとんどだ
そんな中訳注(薬中ではない)を見なくても理解できる箇所が本本で初めて出てきた。第四巻百四十四~五頁にかけての「私」の親戚で祖母の学友でもあったヴィルパリジ夫人が「私」の父を
「トレドに行かないとちゃんと見られないという’画家’のファンでいらっしゃいますからね」
というところだ 画家に訳注(薬中ではない)番号が振ってあったのである
かつては西ゴート王国の首都であったスペインの古都トレドの有名な画家と言えば忘れもしないエル・グレコだ っていうかそれしか思いつかない
トレドには一度行ったことがある ほとんどエル・グレコ一色だった 行くまでそんな画家の名前すら聞いたことが無くて「えっ、グレコ?エレキギターかっ?」ってな調子だ
余の記憶ではトレドはマドリッドからバスで一時間くらい南に行ったところにあった 高台の城壁都市でヴェネチアなんかより数百年古い感じの古都にふさわしい風格を持った素晴らしい町だった
何しろ右を見ればグレコ振り返ればグレコ 町全体がグレコグレコしていたのだから旅の思い出から消えようがない
かくして訳注(薬中ではない)はグレコのことであった
そんなわけで今日の読書も『失われた時を求めて(4) 花咲く乙女たちのかげにII』
読始 | 読終 | 入手 | 題名 | 著者 |
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2017/7/5 | つづく | By | 失われた時を求めて(4) 花咲く乙女たちのかげにII | マルセル・プルースト |
2017/3/24 | つづく | iB | The Big Sleep | Raymond Thornton Chandler |
2016/9/26 | つづく | Pr | 猫楠 | 水木しげる |
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